ザ・昭和の暴れん坊刑事
阿部寛演じる主人公が、アポ電強盗容疑者の家に上がり込み、やりたい放題します
問題ある刑事と言えば、違法捜査に暴力と何でもありの昭和の刑事が描かれがちですが、今の時代、あんな化石刑事はおりません
孤狼の血かと勘違いします
「悪を許さない」というのは警察官の資質として重要ですが、そのためには手段を選ばない、自分の悪には目をつぶるのでは本末転倒です
主人公をよく言えば、正義感のかたまりだとは思います
でも、それは独りよがりでしかありません
盗犯や強盗は許さない、でも暴力には目をつぶる、謎の正義感です
強盗の捜査は強行犯係が担います
主人公も捜査に携わってきたのなら、強行犯係と考えるのが自然です
強行犯係は強盗はもちろん、暴行・傷害事件も担当します
主人公も暴行・傷害事件の捜査をしていたはずですが、どういうつもりで捜査してきたのでしょうか
音楽隊は左遷先?
結論、音楽隊は左遷先ではありません
言わば警察広報の花形といえます
多くの警察組織では、音楽隊は兼務です
映画のように、本部の職員や自動車警ら隊員など、本部所属の警察官、警察職員が務めています
ただ、吹奏楽部出身の警察官というのは少数なので、適任者が少ないという課題はあります
よって、全く音楽経験のない者が務めることもありますが、本人の希望であったり、割り当てのある部署内で若手が差し出されるということがあります
ネタバレ・感動映画の犠牲者
主人公は最初から、アポ電強盗の容疑者は、腕に入れ墨の西田とそのバックであると確信していました
音楽隊に異動したあとも、事件報道を知り捜査本部に乗り込むほど、確信を得ています
そうであるならば、西田に張り付いて行動確認を徹底すべきです
自分だけでなく、他の捜査員も巻き込んでやるべきでした
主人公の性格からして、音楽隊を抜け出して捜査を続けたに違いありません
そうすれば、2件目の事件の未然防止に加え、音楽隊ファンのお婆さんも犠牲になることはなかったでしょう
事件は早期解決、映画になることもなかったでしょう
この映画を感動作品にするために、音楽隊ファンのお婆さんは亡くなったのです
西田に関しては、捜査対象から外れたとの設定でしたが、対象から外れるということは、捜査を尽くした上でのことですから、設定に無理を覚えます
あと、気づいたことは
主人公のお母さんをパトカーで自宅に送り届ける場面、パトカー横の○○県警の○○の部分、マグネットシートで隠されていました
あんな状態で走行していたら、幹部に怒られます
おそらく、映画の予算の関係でああなったのではないかと推察します
あと、音楽隊の存在意義について、議論されることはありますし、経費削減となると対象候補の筆頭にはなるでしょう
たまたま音楽隊員が捕り物に参加して、世間に知られてバズったとしても根本の解決にはなりません
音楽隊ファンのお婆さんが存命で、手に持っていた遺影、ファンになった経緯など、そこから話を広げて、音楽隊の頑張りはもちろん、県民の嘆願で存続するというストーリーでも良かったのではないでしょうか
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